出会いについて(4)

820501m  それを克服する方法もあります。例えば、あなたの望むことを細かくイメージング(想像)したり、リスニング(願望を録音し、繰り返し聴く)したり、ライティング(願望を繰り返し書く)したり、プレイング(願望の実現を祈る)したり、バーチャルリアリティ(実際にデートしたいと思う場所へ行き、疑似体験をする)したりすることです。これらのことを実践することで、あなたに出会いは確実に訪れるとマーフィー博士は云っています。
 SEXフレンドを探す場合も同じです。世に云うプレイボーイという人々をよく観察すると、先に挙げた「積極心」や「楽天心」が図抜けていることが分かります。客観的に見ると「愛他心」に欠けているのですが、それを相手に感じさせない(少なくとも相手と別れるまでは)テクニックを身につけているのです。但し、本当の恋愛を求めるなら「愛他心」こそ最も大切だということを忘れないで下さい。

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出会いについて(3)

Azusa_yamamoto02m  でも、心配はいりません。顕在意識で考える、いわゆる「外見」や「条件」にこだわらず、潜在意識が選ぶ自然体の出会いを望めば、必ず自分に必要な女性は目の前に現われるはずです。それを実現するには、自分の心を「必ず自分が心から望む相手が現われる」と、ポジティブな状態に保ち、一切の否定を避けることです。
 心をポジティブにするには、積極心(これから、どんなに素敵な恋愛もすることができる)、楽天心(どんな恋愛の状態にあっても、それを楽しめる)、愛他心(他人に対する感謝を忘れず、喜びを与えられる)ということを心がけることです。一見非常に難しいことのように見えますが、自分には必ずいいことがあると心から信じることができれば、決して不可能なことではありません。自分を苦境に立たせているのは誰でもない自分自身の弱い心なのです。

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出会いについて(2)

Misa_shinozaki053  話しを戻しましょう。出会いがないと嘆くタイプの先の2つは、相手との出会いをドラマチックに捉え過ぎて、身近にある小さな出会いを見落としたり、放棄していることです。確かに最近はTVドラマなどの影響でドラマチックやロマンチックな出会いを誰もが追体験できるようになりました。ただ、ドラマはあくまでもフィクションで現実とは違うということは肝に銘じておきましょう。
 第3のケースにはコンプレックスが大きく影響しています。「こんな自分では恋愛などできるはずがない」「恋人なんか一生現われない」というように、何事においても自分を否定的に捉える傾向が強いのが特徴です。J・マーフィー流に云えば、自らがマイナスの想いを潜在意識に刻印し続けているので、その通りにマイナスの人生が実現されているだけのことなのです。

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出会いについて(1)

906301  恋愛や結婚、もちろんSEXをする以前に、まずその相手がいなければなりません。「出会いがない」と嘆く人にはある共通点があります。女性ほどではありませんが男性にも相手に理想を求め過ぎたり、自分の周り(職場など)にはまともな相手などいないと思い込んだりするタイプが存在します。また、性格的に内気で自分の想っていることを相手に伝えられずに相手が離れていってしまう人もいることでしょう。男性特有のケースとしては相手をSEXの対象としか見ていないという場合も少なくありません。

 勿論、出会いには運も必要です。でも、天から降って湧いたような出会いを求めていては出会いの確率は万分の一以下でしょう。出会いは自ら求めるもので誰かから与えられるものではないのです。

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プラトニック・ラブを考える(4)

 ポスト・モダン以降、「身体軽視」の反省から、物心二元論は否定され、『身体論』が多く書かれるようになりました。

 これはフロイトに始まる「心身の相関性」に関する研究の成果です。神経症や心身症、自律神経失調症のような「心身の相関性」が強いとされる病気が増加している現代にあって、「心身」を分けて論じることは無理がありますし、無意味です。

 こうした見方をすると、片山恭一の『セカチュー』はむしろ古いタイプの恋愛を描いた小説と言えるかもしれません。

 『杳子』や『ノルウェーの森』は明らかにポスト・モダン的な小説なのですから。

 ただ、ペダンチックな傾向の強い片山恭一がそんなことを知らないはずはないので、作者は何らかの意図をもって『セカチュー』をプラトニックな作品にしたと考えるのが妥当でしょう。

 あの島のホテルで朔太郎とアキがセックスをしても全く不自然ではないのですから・・・

 では、作者は何故そうしなかったのでしょう・・・?

 おそらく愛の精神性を際立たせたいという意図がそこにあったのではないでしょうか・・・?

 先の中島みゆきと吉行淳之介との対談の中で、中島みゆきは「肉体的な愛を待ち構えている時期をプラトニック・ラブというんじゃないか」と言っています。「たとえばネコがネズミに飛びかかる前に、身を低くして狙っている」ようにと。

 片山恭一はこの緊張感を描きたかったんじゃないかと思っています。

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プラトニック・ラブを考える(3)

 またデカルトの「物心二元論」以降、「精神」は高級で「肉体」は「物質」とみなされ、常に「精神」の下に置かれてきました。

 こうした流れの中で「肉体」は「物質」のひとつであるという考え方が強まり、18世紀には、ド・ラ・メトリの『人間機械論』まで登場することになります。Descartes01

 人間の手が外化したもにが道具で、足が外化したものが車輪だというように、「肉体」が外化したものを「技術」と捉えるわけです。

 近代科学はこのような流れの中で発展してきたことになります。

 また、近代科学に基づく近代医学の分野では、病気をある身体組織のトラブルと考え、治療とは、手術や薬物の投与によって、そのトラブルを取り除くことと考えるようになりました。

 帚木蓬生の『臓器農場』では子供の臓器移植のために無脳症児を人工的に出産させるというショッキングな医療が描かれていますが、臓器移植が可能になるまでに進歩した現代医学においてさえも、臓器は部品と考えている医師もまだまだいるようです。

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プラトニック・ラブを考える(2)

 西洋では宗教の問題とか騎士道精神などがあって「禁欲的な愛」を指すことが多いようですが、日本では古来から「よばい」と呼ばれる風習があって、プラトニック・ラブという精神は武士の時代にしかなかったはずなので、歴史的には未成熟で、近代以降の日本の「処女崇拝」はもてないインテリの僻みのように感じられてなりません。

 プラトニック・ラブは本来「愛の精神性」を重視した考え方で、決してセックスを否定するものではなかったはずです。

 それがいつの間にかキリスト教的な「禁欲主義」の衣を着せられてしまい、現在に至っているようです。

 ビアス(Ambrose Bierce)は『悪魔の辞典』の中で「プラニック・ラブとは、不能と不感症の間の愛情を指す、馬鹿げた名前である」と言っていますが、西洋のフリー・セックスはビアスのような「禁欲主義」への反発から生まれたといっても過言ではないと思います。

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プラトニック・ラブを考える(1)

 『世界の中心で愛をさけぶ』を『ノルウェーの森』や『杳子』と読み比べて感じたことはプラトニック・ラブとは何だろうということでした。

 ウイキペディアでは「プラトニック・ラブ(Platonic love)とは、肉体的な欲求を離れた、精神的な愛のことである」と記されています。

 しかも「かつては好き合った男女同士でも結婚までは純潔を保つべきである、として精神的な愛を理想と考える若者も存在したが、現在ではほとんど死語と化しているようである」という但し書きまで添えらている。

 プラトニック・ラブの「プラトニック」という言葉は文字通り「プラトン的な」というい意味ですが、実は『饗宴』という書物の中でプラトンの師ソクラテスの言葉として語られていると吉行淳之介が言っています。

 「つまりある宴席で、ソクラテスが美童をはべらし、酒をくみながら、肉の愛より精神の愛が尊いと言ったというんですね」と。

 「どうもこういう考え方は、うんと若い人か、大変な年寄りでダメになっている人のものという気がするな」(「女性自身」中島みゆきとの対談1977年)という皮肉も込めて・・・

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恋愛と信頼(3)

 自分にとってどうでもいいことのようでも相手にとっては大切なことはたくさんあります。

 特に男女の仲ともなればなおさらでしょう。

 女性は自分の容姿や内面に敏感ですが、男性は世間体やプライドといったものを必要以上に気にかけるものです。

 例えば女性のファッションや容姿の変化に鈍感な男性はもてないし、男のプライドに鈍感な女性も嫌われることが多くなります。

 女性が目一杯のおしゃれをしたのに全く気づいてもらえなかったり、男性が相手のためにプライドをかなぐりすてて何かをしたときに、なんでそんなにむきになるのかしらなんて反応をされると、もう二人の関係はほとんどそこで終わってしまうのではないでしょうか?

 男と女は根本的に脳の機能が違うという研究もすすんでいるようですが、そこまで知る必要があるかどうかは別にして、もう少し男女の違いを念頭においた付き合い方を考える時代になってきているような気がします。

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恋愛と信頼(2)

 「恋は盲目」という言葉でも分かるように、恋に落ちた当初は相手の上辺は見ていても、こころが全く見えていないことが多いようです。

 真っ暗なトンネルから出た直後のような感覚なのかもしれません・・・

 ただ、明るさに目が慣れてくると、次第に相手の欠点なども見えてきて、本当にこの人でいいのかしらと思ってしまう瞬間も増えてくるはずです。

 人を好きになる時は、その人の長所しか見えないものですが、やがて欠点も見え始めることになります。

 ここが恋から愛へのターニングポイントです。

 欠点など誰にでもあるものですから、欠点も相手の個性と大きく包み込むような包容力が必要になる、恋愛にとって最も重要な時期なのです。

 ただ、ここで問題なのはその欠点を嘘で隠してしまおうとする人が多いことです。

 こうした状況が続くとお互いの信頼関係が足元から音をたてて崩れて行くことになります。

 時には相手に嫌われても言わなければならないことはきちんと伝える。

 分からないことはめんどうくさがらずにきちんと聞くことが大切です。

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